奥辺路から熊野古道・中辺路へと接続する兵生道を歩いてきました

高野山から龍神温泉経由で、

熊野古道の逢坂峠に繋がる道

『奥辺路』の「兵生道」を歩いてきました。

とはいっても、ほぼ林道歩きの長丁場です。

『奥辺路』は、

龍神村の「龍の里づくり委員会」の

方々によって、「幻の熊野古道

と称して、

道普請等が行われています。

ということで、早速歩いてきました。

今回の目的地を兵生の春日神社に設定、

道の駅「熊野古道中辺路」からの

スタートです。

まずは大坂本王子跡を経て逢坂峠へ。

ここで、熊野古道と分かれ、

緩やかに上福定へと下っていきます。

至るところで林道が交叉、

ここで手痛いルートミス。

しかし、ここでの間違いが幸いし、

ニホンカモシカと遭遇…、しかも2頭…。


気を取り直し、本コースに戻ったのち、

緩やかに下って上福定橋へ。

さて上福定橋を渡った先は、

だらだとした長丁場の林道歩き…。

と思いきや、

富田川の水量が思いのほか多く、

まさに江戸時代の地誌

紀伊風土記』にある川の様相。

「兵生村より福定村に至る間、

川幅が狭く両岸巉巌壁立して、

水巌脚に満ちて流る。

岩上樹木繁茂して陰影をなし、

ほとんど洞中の如きもの…」と。

まさに激流といったところです。

車で通り抜けたのでは、

到底、得ることが出来ないであろう、

富田川の自然美に出会うことができました。

三脚を持ってこなかったのが悔やまれます…。


また兵生村については、

同書に

「栗栖川の源にあって

深山険僻の地…、

2つ道はあるが、

険悪でほかとんど

歩くことができない」

とも記されています。

集落跡らしき石積み跡を眺めながら、

ダートの林道を進んでいきます。

ここ兵生には南方熊楠が植物調査

のために滞在したという記録も

残されています。

ようやく春日神社に到着。

昭和49年、兵生村の人々は、

集団移転したとされていますが、

神社は、きれいに維持されているようです。


神社の前の河原で、ひと休憩した後、

ここで折り返し、

再び富田川の渓流を眺めながら、

福定バス停へ。

ちなみに「幻の熊野古道」の道標は、

ここまで皆無でした。

まだまだ、整備中と言うことでしようか!?。

GPS軌跡】

一部、データが欠落しています

【この林道へは入り込まないように】

【ここからの展望はよい】

左手に熊野古道・悪四郎山方面を望む

【きれいな自然林】

振り返って撮影

【上福定橋近くの富田川】

【支流に懸かる滝】

【富田川】

【小越の瀬の小祠】

【兵生の廃屋】

産土神春日神社】

立派です。ここから折り返します。

【富田川の流れ】

【林道】

【富田川】

きれいな水面

【とち合橋】

【富田川】

【支流の滝】

【福定の大イチョウと富田川】

【コースタイム】
道の駅 熊野古道中辺路(牛馬童子像口)(8:00)~(8:20)大坂本王子跡~(8:45)逢坂峠~(10:50)上福定橋~(11:40)栩合橋~(12:35)春日神社(12:55)~(13:25)小越の瀬~(14:00)栩合橋~(14:12)石里橋~(15:10)福定橋バス停(15:50)===(15:55)牛馬童子像口バス停