ピークのひとつ"乗鞍岳"に登ってきました。
[乗鞍岳山頂]
[3D-GPS軌跡]
とは言ったものの、
今回のもうひとつの目的は乗鞍岳の
西寄り、天辻峠から阪本への古道
(西熊野街道)の探索です。
天辻峠(標高780m程)は、
旅人が最初に経験する旧西熊野街道
随一の難峠とも言えます。
そのため、今日に至るまで、度々改良が
加えられています。
大正11年に穿たれた天辻隧道、
戦後の昭和34年に開通した現国道168号が、
それらをまとめて旧廃道にしてしまい、
旧街道の探索は、
きわめて困難と言わざるを得ません。
ということですが…
[GPS軌跡]
[天辻峠越えルート図]
[明治41年の地形図 <参考>]
まずは道の駅「吉野路大塔」をスタート、
旧街道を北にとって維新歴史公園を経て天辻峠へ。
天辻峠は、かつて富貴辻と呼ばれたところです。
畔田伴存の『吉野郡名山図志』には
「天ノ川辻 坂本へ拾八丁、此地道幅壱丈余、
山中には稀なる道也、家建も大にして、
凡乙問屋也、五条より
此地江牛馬に米酒諸物を附来り、
是より歩行荷となり、十津川江入る」と、
当時の様子が記されています。
天辻峠には武蔵坊南岳の和歌が刻まれた
道標歌碑が建てられています。
武蔵坊南岳は、かつて五條代官所に
勤務していた南條治郎左衛門という
方の雅号です。
歌碑の正面には
「右 五條下市/左 ふきはし本道」が
刻まれ、道標も兼ねています。
三差路の左が紀伊藩兵の使った富貴、
鳩の首峠からの間道です。
そして右が津藩藤堂軍が押し寄せた
西熊野街道の本道とされています。
天辻峠について云々する場合、
必ずと言ってよいほど登場するのが
"天誅組"ですが…。
ここは、別の機会に譲りたいと思います。
天辻峠をあとに、
林道を右にとって乗鞍岳へ。
帰路は、維新歴史公園から旧道の三差路を経て
①の尾根道を往路として、阪本に下ったのち、
復路を②の上谷(じょうたに)沿いの古道を登り、
道の駅に戻ってきました。
街道を歩いていた地元の方(60代の方)の話では、
②の上谷沿いの道を
通学路として利用したということでした。
しかし、①のルートについては
「利用したことがなかった」とも言われていました。
①は三差路から鉄塔近くまでは、
きれいな道でしたが、その後は、踏み跡も薄く、
倒木も目立ちました。
②は、きれいに整備された石段が現在も健在で、
古道としての風格のようなものを感じました。
が、ルートの変遷著しく、
何を指して古道と言えるのかが…、
ここでは、答えが出てきませんでした。
[維新歴史公園]
天誅組本陣跡は天辻の富豪・鶴屋治兵衛宅のあったところで、その後、明治38年10月に天辻小学校が建てられました。平成16年8月に天辻小学校は廃校処置になり、同地には地域の歴史を振り返る「維新歴史公園」が整備されています。
維新歴史公園には、"天誅組本陣遺跡の碑"、"義烈鶴屋治兵衛翁碑"、野崎主計の辞世の句碑「討つ人も 討たるる人も 心せよ 同じ御国の 御民なりせば」等が立ち並んでいます。
[天辻小学校跡地を示す石碑]
[天辻峠に向かう林道から大日岳方面を望む]
[天辻峠の"南條治郎左衛門"の歌碑]
「二の声は 何国の華ぞ ほととぎす 武蔵坊南岳」
この歌碑はレプリカです。
[乗鞍岳山頂]
[天辻の旧街道]
[三差路分岐]
左が尾根道①、右下は上谷沿いの古道?②
直進が尾根道①、右下が簾方面?
[鉄塔下から唐笠山を望む]
[三等三角点]
[上谷への入口②の古道]
[きれいに整備された②のコンクリート石段]
比較的、新しいものと思われますが、年月を掛けて苔むしています。
また国道からここまで、急斜面に付けられた道ですが、きれいに残っています。
[上谷の古道]
もう少しで分岐と思われるところで、倒木と遭遇!!! 万事休す。
これって、何とかならないのか!!
このままだと、廃道になってしまいます…。
【コースタイム】
道の駅8:50-9:25維新歴史公園-9:40天辻峠(富貴辻)-10:00乗鞍岳取り付き10:05-10:25乗鞍岳10:45-11:00乗鞍岳取り付き-11:20天辻峠11:30-11:45維新歴史公園12:05-12:15古道入口-12:25分岐(三差路)12:30-12:55三等三角点-13:20大塔橋-13:30古道入口(上谷入口)-14:40三差路-14:55道の駅