『紀伊続風土記』の水谷滝の所在について

いつもお立ち寄り下さり、

ありがとうございます。

さて、今日は、

紀伊風土記』に記された

熊野川支流の「水谷滝」について

考えてみようと思います。

暇つぶしに、ちょっとばかり、

お付き合い下さい。

「第一の大河なるを似て

熊野川の名あり、

本宮より舟行して新宮に至る。()…

の書き出しから始まる「熊野川」。

その「熊野川」には、

「銚子口の瀧」

「白見瀧また蒼瀧」

「布引滝」

「蛇和田瀧」

「飛雪瀧(竹谷瀧)

「水谷瀧」

「下ノ谷瀧」の7滝が紹介されています。

 

と…、その前に、

以前、蛇和田滝を考察した際、

蛇の和田谷のすぐ南の谷を柱谷

としておりましたが、

改めて読み返してみて、

私の勘違いというのが分かりました。

柱滝ではなく、正しくは桂谷です。

さて、本題に戻って…、

熊野川」から「水谷滝」に

ついて抜粋すると…。

 

東の岸に水谷瀧あり。

高さ二十四間許、川辺にあり、

又下ノ谷瀧あり。

水谷瀧に隣りて川辺にあり。

高さ十二間ばかり…」と。

 

要約しますと

水谷滝の高さは約43メートル、

東の岸にあって、

下の谷滝と隣り合った滝と

記されています。

しかし、この文面からでは

水谷滝の特定には至りません。

ところが、最近、

新たな文献と出会って…、

新展開が…。

それは、『紀伊風土記』編集の

下地とされる資料の存在です。

資料は『名所古跡調べ』と称して、

各組単位で纏められ

大庄屋提出の形態を

取っていたようです。

ここでは「新宮領」の浅里村の

『名所古跡調べ』に、

以下のような記述を見つけました。

 

1.熊谷   在所真中より12ノ方

1.水谷滝  在所真中より10 ノ方

1.下谷  在所真中より7町卯ノ方

1.大和田  在所真中より6町辰ノ方熊野川ノ内

1.昼島   在所真中より辰ノ方大和田ノ内

 

ここで、『紀伊風土記』と

『名所古跡調べ』を統合すると…、

水谷滝は、浅里集落から東南東方向、

十町(1090メートル)に位置し、

高さが二十四間(43メートル)

いうことになります。

以上のことを踏まえて、

水谷滝の位置を推測すると…、

下の谷と熊谷との間の谷に

懸かる滝ということが

容易に推測できます。

高さ43メートルには、

若干の誇張はありますが…。

現在、松風の滝と呼ばれている滝が、

紀伊風土記』に記されている

「水谷滝」ということで間違いないでしょう。

ちなみに、現在、和田の滝と呼ばれている滝は、

江戸時代には、

下ノ谷滝ということになります。

(下ノ谷に懸かる滝です)

少し少し回りくどい説明になりましたが、

以上が水谷滝に関しての私なりの見解です。

ここまで読んでいただき

ありがとうございました!

気になる点等がありましたら、

メッセージ等を頂けるとうれしいです。

【滝位置図】

【昼島】

【下ノ谷滝(和田の滝)】

【水谷滝(松風の滝)横の子安の地蔵】

【水谷滝(松風の滝)】