殿尾山からお菊山へ縦走。悲劇の「お菊」姫の伝承の地へ。

今日は、久しぶりの自由参加の会の例会です。

JR長滝駅から殿尾山経由でお菊山まで縦走、

新家駅までのハイキングです。

お菊山は7年前の9月にも登っていました。

蒸し暑かったという記憶が残っています。

  JR長滝駅をスタート、

まずは新滝の池、滝の池経由で殿尾山へ。

秋の空に、爽やかな空気、

いやー、気持ちの良い1日の始まりです。

鉄塔の広場から、大阪湾、関西新空港、

そして淡路島まで、最高の眺望です。

日差しは暑いものの、

時折の涼風に助けられました。

が…蒸し暑さも…。

 昼食を終え、

鉄塔から鉄塔を経てお菊山へ。

お菊山には

「お菊松、列女菊姿見の遺跡」の石碑が

建っています。


お菊とは、いったい? 

お菊は、

関白豊臣秀次と側室「こよ」

との間に生まれた娘の名前です。

時は、豊臣秀吉の時代。

関白秀次切腹に伴い、

三十余人の愛妾も斬り殺されてしまいます。

その中に、お菊の母、

こよ(淡輪家の長女、御小督局)もいました。

 

「お菊」は、大谷刑部の計らいで、

助け出されます。

その後、

お菊は紀州名草郡の山口家の兵内に嫁入、

兵内の妻となったのも束の間、

大坂城を取巻く戦雲はただならぬ様子。

お菊の夫、

兵内は、新婚の妻を残して、

豊臣方として出陣してしまいます。

お菊は、徳川軍勢の様子を知らせるために、

黒髪を切りおとし、若武者姿に変装し、

大坂城に密書を届けます。

黒髪を埋めたとされているのが、

ここお菊山です。

その後、豊臣方と徳川方の戦い、

いわゆる樫井川の合戦が始まりますが、

徳川方が一方的に勝利します。


兵内は討ち死、お菊は女性の身、

山口家に嫁いで日も浅しと

死を免ずることになったものの、

夫、兵内が既に亡き今、

生きる甲斐もなしと強く処刑を申し出て、

紀ノ川田井之瀬河原で

打ち首の刑に処せられと

伝えられています。

お菊は、

その時20歳の若さでした。


さて先ほどの

「お菊松、列女菊姿見の遺跡」の

石碑には、南海町長滝という刻印…。

ということで、

もうひとつ気になる「南海町」?

と言うことで、調べると、

昭和31年に南海町が発足していました。

南海電気鉄道の沿線の町であることから、

南海を町名として採用したようです。

その後、昭和47年には、

鳥取町と合併して、

現在の阪南町が発足しています。

なるほど!なるほど!。

石碑は昭和46年の建立になっています。

今日の参加者は、16名、

久しぶりのハイキングを楽しみました。

GPSコース図】

意賀美神社

【新滝の池】

【殿尾山への登り】

【鉄塔広場からの展望】

【殿尾山】

【お菊山・お菊松】

「お菊松、列女菊姿見の遺跡」の石碑。左下に「南海町鳥取」の刻印。

【コースタイム】
JR長滝駅(9:10)~(9:32)意賀美神社(9:45)~(9:55)新滝の池~(10:18)滝の池~(10:35)支尾根取り付き~(11:15)鉄塔広場・お菊山分岐~(11:40)殿尾山~(11:45)昼食(12:15)~(13:00)分岐(13:05)~(13:20)お菊山(13:50)~(14:55)車道~(15:35)JR新家駅