西熊野街道、山崎から中平茶屋跡へ。

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昨日は松平参詣道を歩き、十津川温泉で泊、

今日は、山崎から小森に向かう西熊野街道

歩いてきました…と、

書きたいところですが…。


さて、漢学者藤沢南岳が明治19年に

十津川村を旅したときの紀行文「探奇小録」

に、西熊野街道のことが記されています。


「嶺ヲ超ヘ野尻ヲ過ギ

山崎ニ至ル。

是ニ於テ渓ト別レ

中原嶺ヲ過ギ

小森ニ至ル。

村口ノ茶店ニ憩フ。

軒ニアタルノ峯竣峭、

其ノ名ヲ問フ。
曰ク「行者岳ニシテ

一郷ノ中央タリ」ト。
又行クコト数丁、

崖上ニ招魂社アリ、
郷人ノ王事ニ死セル

者ヲ祭ルナリ」

 

そこで、かつて藤沢南岳が旅したとされる道を

辿ってみることに!!。

山崎大橋バス停をあとに西熊野街道入口へ。

しばらくして雨がポツリポツリ…。

何とも嫌な予感!!!…です。

山崎集落の外れ、三神社の左横手から古道へ。

実は、ここでルートミス。

本来の古道入口は、集落の外れ、

すぐ左手にありました。

古道に入ってからは、ほぼ一本道。

小さな山抜け・倒木はあったものの、

問題なく、山襞を縫ように進みます。

しかし雨足が強くなったり、弱まったり…。

やがて、大きく展望が開けると、

中平茶屋跡に到着。

少し早めの昼食ののち、

小森方面に向かいます。


中原の吊橋には、通行禁止の立札。

しばらくして

吊橋から50メートルほど進んだところだろうか…、

大きな山抜けと遭遇。

他の道を探してみましたが、これ以上の

前進は無理と判断、

往路を山崎まで引き返しました。

 

十津川村村図」に、

"西熊野街道"の緑線が引かれ、

また、他の古道関係資料等にも

目を通していた限り、

さほど苦労することなく通行できるだろう

と思っていたのですが…。


しかし、帰路、

立ち寄った喫茶店の店主から

別の道を教えていただきました。

中原橋の手前から一旦、谷に下ったのち、

中原の集落跡を抜けて小森方面に向かう

道があるとのことです。

まぁ-、今回は、雨という影響もあり、

リベンジの機会をつくりたいと思います。

[西熊野街道GPS軌跡]

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[明治期の西熊野街道]

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[山崎大橋近く]



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[佐古高英・志津夫妻の功徳碑]

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[山崎大橋を望む]

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[三神社への道]

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[三神社]

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[三神社近くの古道]

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[ながさこ]

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[茶屋跡から池穴を望む]

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[中原に向かう]

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[中原橋の吊り橋]

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