名草山から竃山神社へ。「をたけび橋」のこと

ようやく、秋らしい気候になってきました。


ということで、

N氏と二人で秋の名草山を歩いてきました。


JR紀三井寺駅をスタート。

まずは名草山山麓を南にとり内原神社へ。

内原神社に参拝後、やや蒸し暑さを感じながら、

マリーナ台、見晴台と、

いっきに登って、名草山山頂へ。


気温22度、爽やかな涼風と眺望、青空も広がり、

ハギの花が咲く山頂でのひとときに…満

足・満足です。

帰路は山頂道を北へ、少しで朝日ヶ丘。

以前歩いたときに比べ、

西側が大きく切り開かれ、

和歌山市街が一望です。

気持ちの良い竹林、雑木林を通り、

ハサミ池畔に下山、

住宅地を抜け竃山神社へ。

竃山神社を出た橋の欄干に、

「をたけび橋」の表示が…。

何とも、意味ありげな名前!!が気にかかり…。

帰ってから調べてみると、

そこには「をたけび橋」の意味由来が…。

名前には、何事にも意味があるのですね。

 

ちなみに竃山神社は、神武天皇のお兄さん、

彦五瀬命が祀る神社で、

神武天皇は四人兄弟の末っ子です。

ここ竃山神社に彦五瀬命が祀られる

ことになった経緯、

そして「をたけび橋」の由来について

簡単に説明すると、以下の通りになります。

 

彦五瀬命は、九州日向の高千穂から

日本統一を目指し、

神武天皇を含む3人の弟たちとともに

東征に向かいます。


途中、大坂の河内国に上陸し、

土豪長髄彦との交戦となり、

彦五瀬命は流れ矢に当たり負傷します。


大敗した一行は、


紀伊半島を南に回り込む進路に変更します。


しかし紀伊国の雄水門に着いた所で、

先の交戦での彦五瀬命の傷が悪化し、

雄叫びをあげ崩御してしまいます。

雄叫び? いやいや壮絶…って、

ところでしょうかね。

この時、彦五瀬命が蒙られた墓が

竃山神社隣の竈山墓とされています。


そして、この地を訪れた本居宣長

「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて 

あらしはげしき かまやまのまつ」

という詩を詠んだんだとか。

ということで、「雄叫び」「をたけび橋」と

いうことのようです。

いやはや、なっとく、納得です!!。

竃山駅からは「おもちゃ電車」に乗車、

和歌山駅まで戻ってきました。

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GPS軌跡】

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【実りの秋!! 10/5】

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紀三井寺はパス】

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【真新しい内原神社の鳥居】

f:id:hikojima:20201006125212j:plain【いよいよ名草山への登り】

f:id:hikojima:20201006125215j:plain【マリーナ台】

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【見晴台】

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【名草山山頂】

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【一本松の道標石】

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【名草山を望む】

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【竃山神社神門】

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彦五瀬命が蒙られている竈山墓】

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