大塔宮(護良親王)ゆかりの"囁山"について

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ありがとうございます。
本ブログでは思いつくままに…ただただ、
山への思いを書き綴っています。

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しかし、このところの新型コロナウイルス

の感染拡大…そして、4月に入ってからは、

都道府県に「緊急事態宣言」が発出され、

7都府県への往来についての自粛要請…、

その上、今日は、

予定していた二上山ハイキング例会の中止という

ことで、何かとストレスが溜まってしまいがちです。


皆さんは、どうお過ごしですか??

 

そこで、今日は、不要不急の

外出自粛要請の中で、机上でできること、

少し気になっている山への思い、事柄について、

少し書き記してみよう思っています。

 

以前、当ブログで取り上げましたが、

大塔宮ゆかりの"囁山"が今日の気になる山です。


"囁(ささやき)山"と言っても、ご存じの方は、

おそらく皆無に等しいのではないでしょうか。

"囁山"は、大峰山脈の玉置山の北に位置する山で、

現状、多くの地形図には"卯月山"と記載されている山です。


明治24年発行の『奈良県名勝志』に、"囁山"は、

「往昔護良親王紀州熊野ヨリ通御ノ際、

横嶺ニ於テ賊徒来迫リ将ニ王ヲ捕ヘントス時ニ、

片岡八郎之ヲ防戦ス 

王其間ヲ得テ此山ニ遁ル、

八郎遂ニ死ス 王侍臣ニ囁テ曰ク 

賊ノ様子如何ント

因テ此構アリ又其西ニ

一嶺アリ王走ト呼フ 

王亦此嶺ヲ馳□セラルニ

因テ名ツクト云」と書き記されています。


また、明治16年調『十津川郷村誌』復刻版の

「折立村」の項には、

「東北三分ハ同郡高滝村ニ属シ、西南七分ハ

本村ニ属ス、山脈ハ東南玉置峯(前ニ記ス)

ヨリ連リ…(中略)」とあり、

同「高滝村」の項には、囁尾山として、


「此ノ山ハ 本村ノ南ニアリテ登ルコト 

凡ソ二十町、南ハ折立村ニ属シ、

北ハ本村ニ属ス、

之ニ登ルニ現路ナシ、

此ノ山ハ 

昔シ護良親王ノ熊野ヨリ入リ 

御通路ノ節、字横嶺ト云フ所ニテ

不図モ賊来リ逼リテ捕リ奉ラント、

親王コノ虎ロヲ遁レテ 

コノ山ニ落チ給ヒテ、

王敵ノ如何ヲ見ヨト 

侍臣ニ御囁キナサレシナリト、

之ニヨツテ 

囁キ山トハ云伝フルナリト云」と、

護良親王ゆかりの山として、紹介されています。

しかし、残念ながら、現在、十津川村村図をはじめ、

多くの地形図からは

「囁(尾)山」の山名が消え去っています。


十津川村の明治時代というのは、

何かと変化めまぐるしい時代でした。


明治22年8月の十津川村を襲った未曾有の大水害、

そして北海道への移住、


明治23年十津川村の合併…等々、

村民の人々の記憶から、大塔宮ゆかりの"囁山"が

消え去ってしまったのでしょうか…。

そうであれば、非常に残念なことです。

そこで、恐縮ながら、

2020年版「山と高原地図シリーズ」の

高野山熊野古道』の地形図において、

大塔宮ゆかりの山として、"囁山"を復活させました。

今後、"囁山"への登山者が増えることを願うと共に、

"囁山"として、

認知していただけることを願っています。


大塔宮について、このほかに、

何らかの情報をお持ちの方がおられましたら、

メッセージ等、いただけると嬉しいです。

【囁山の位置図】

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【2020年版山と高原地図高野山熊野古道』より】

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