赤木越道シーズン2の
"不動地ノ嶺"の尾根道を歩いてきました。
赤木越道シーズン1の
"不動地ノ嶺から迫辻へ(2019.4.17)"に
引き続いてのシーズン2です。
シーズン1の記録です↓
「この日に限って、暑さもひと休み…」
何ともありがたい一日になりました。
さて赤木越道については、
江戸時代の博物学者、
畔田翠山の著『和州吉野郡群山記』の
"紀州若山より釈迦嶽に登る十津川赤木越道"
に詳しく紹介されています。
しかし、当時(江戸時代)の赤木越道を
現在の地図で特定することが出来ません。
十津川村旭の中谷集落から太尾尾根に
登ったのち、不動地ノ嶺から、
ほぼ太尾の尾根沿いに釈迦ヶ岳を目指した…
ものと、おおよそ、推測することができますが…。
ともあれ、
赤木越道を訪ねるシリーズのシーズン2は、
太尾(釈迦ヶ岳)登山口から
不動地ノ嶺の尾根歩きです。
往路を太尾尾根で、
復路を林道を使って…と思い
歩いてみましたが…、
かつての林道は、
崩落と山抜け等が著しく、
歩くにも支障をきたすほどでした。
太尾の尾根歩きの道は、
ブナ・ヒメシャラ等々、
自然林の期待通りのルート、
その上、心地よい風、心が癒されます。
以下に、
『和州吉野郡群山記』の
「釈迦嶽記」を抜粋します。
<不動地、はせの木坂へ二里余>。
二丁ばかり行き、道十字となる。
右に下れば栗平村道、
左に下れば迫村へ行く。
釈迦嶽へ登るは、直に行くなり。
この辺、菅(スゲ)・芒(カヤ)野山なり。
この処を、せ辻と云ふ。(中略)…
この辺より先は、
かや道に茂りふさがりて、
秋の頃は殊に登りがたし。
夏も枯れ残れるがありて、
人の足を煩はしむ…。
<赤木坂、八丁登り有り>。
赤木づかうと云ふ処有り。
この辺にて、右の山下に、
谷水の流れ響あり。
これ、滝渓なり。(中略)
…内原村の枝郷花瀬村は、
赤木坂の下、南方に当たる。
高原よりおよそ三里なり。
総槌平、板橋、
山渓に掛かる、丸木橋なり。
昔は橋有りけるが、今はなし。
鞍根坂 少し登り坂有り。
この辺より篠道にふさぎて高き事、
人をかくす。(中略)…
鞍根坂の嶺を鞍根辻と云ふ。
下り坂有り。
それより土器の坂、登り、
一里十四、五丁登れば、小峠有り。(中略)
沼田小屋 道の右下二丁ばかり。(中略)
戸谷辻 先にて少し下り坂となる。
<はせの木坂 古田の森へ一里>。
この辺すず竹多し。(略)…
このあとも、事細かな記述が続きます…。
しかし、ここまで距離・地名が詳細に
書かれていながら、現在の地形図では、
総槌平・鞍根坂・土器の坂・沼田小屋
・戸谷辻・はせの木坂…といった地名の
場所が特定できません…。
古田の森が唯一、
場所の特定が出来るのが救いですね。
【翠山自画の釈迦嶽西の方より見る図】
『和州吉野郡群山記』所載
(大阪市立博物館蔵)より
不動地の次は、"赤木坂"のようです。
ともあれ、いろいろと想像しながら、
地形図をなぞってみるのも楽しいものです。
もちろん正解は、ひとつだと思いますが…。
ちなみに、かつての十津川の旭村あたりでは、
釈迦ヶ岳を"オシャカサン"と呼び、
雨乞いの火をもらいに、
釈迦ヶ岳・前鬼への登拝が頻繁に
行われていたようです
(「旭ダム関係地民俗等調査報告」より)。
[二重滝]
太尾登山口に向かう林道から望む
[太尾(釈迦ヶ岳)登山口]
この日は、5台ほどの先客が…。
駐車場へは、あと数台ほどが停められそうです。
ほとんどの登山者は、
右手の釈迦ヶ岳を目指しますが…、
私たちは、左手のトレイ小屋の後ろから尾根に
取り付きます。
[一つめの林道出合]
この辺りまで、林道が舗装されていました。
しかし、崩落がひどいです。
[樹林のすき間から下辻山を望む]
[樹林のすき間から七面山を望む]
八経ヶ岳方面には、
ガスがかかっていました。
[三等三角点「旭」]
[林道出合]
林道に下ったのち、
再び尾根に取り付く
[七面山を望む]
[大岩を乗り越える]
P1181mを過ぎてから
次の小さなピーク
[不動地ノ嶺]
[迫辻付近]
林道終点付近
[山抜けのあった林道からの眺望]
[山抜けのあった林道から釈迦ヶ岳を望む]
[大峰主稜線を望む]
【コースタイム】
太尾登山口P8:45-9:45三等三角点-10:00林道出合-11:15迫辻-11:30不動地の嶺12:00-12:15迫辻-(林道)-12:55再び尾根道へ-13:55林道出合-14:45太尾登山口P