猫又の滝と言えば、玉置山の麓の「猫又の滝」は、
良く知られていますが、
今回、訪ねたのは、
大井谷川に懸かる「猫又の滝」と、
仏峠にあったとされる
上湯川小学校・中学校分校跡です。
かつて学校があったとされる場所が、
"ほとけ"の字を冠した仏峠にあったのだろうか…?
というのが、素直な疑問であり、
訪ねてみたいという衝動にかられました。
滝探索について手かがりとなるのが
いつもながらの『十津川郷村誌』です。
『上湯川村誌』には、
大井谷について次のように記されています。
「北方高乙山ノ東面ヨリ発シ 東ニ向テ山間ヲ曲流シ、同山脈中ヨリ出ヅル四郎ノ谷・栂尾谷等ノ諸水(名ヅクベキナシ)ヲ合セ、猫又滝ヲ落チ、漸ク字大井谷ニ至リ数項ノ稲田養水或ハ飲料ニ供シ(略)…諸水ヲ合シ、字浦大井滝ニ注グ」と…
大井谷に入ってすぐ、運良く通りかかった方が、
ここ大井谷に住むM氏でした。
「猫又の滝」の位置は、分かりにくいだろう…
ということで、親切に車に乗せていただき、
「四郎滝」と「猫又の滝」の滝案内をしてくれました。
四郎滝は猫又の滝から50メートルほど上流の滝で、
『村誌』には、四郎ノ谷と記されていますが、
正しくは四郎滝とのことです。
林道脇のモミジの木に囲まれた滝で、
秋の紅葉時期はさどかし…きれいと思います。
谷が増水した折には、落ち口からの水しぶきが
城のようにも見えるという滝で、
"城尾滝"が語源では…とのこと。
貴重な話も聞かせていただきました。
また浦大井滝は、大井谷川が出谷川と合流するところに
懸かる5メートルほどの滝で、
滝に近寄ることが出来ないだろう…と。
さて猫又の滝へは、四郎滝から50メートルほど下流、
林道から少し入った滝落ち口に、
以前まで使われていたという
古道の石積みが残っていました。
古道上から、岩窟の底にたたき落ちる
猫又の滝を見下ろすことになります。
滝壺へは、近寄ることが出来ず、ここで残念。
滝の下流には、5メートルほどの滝が懸かっていました。
仏峠の入口近くでM氏と別れたのち、
M氏が最近かけ直したという丸太橋を渡って仏峠へ。
15分ほどで仏峠に到着。
すでに学校の建物は崩壊し、
周囲は杉林に囲まれていました。
しかし、平地の少ない地域にとって、
ここは…別天地だったのでは…、
と思えるような広さだけが残っていました。
[GPS軌跡]
[四郎滝]
[猫又の滝]
石積みの古道上から滝壺をのぞき込む。
次の写真が石積みの古道を見る。
猫又の滝落ち口。
右上が古道で、石積みがきれいに残っている。
猫又の滝の下流に懸かる5メートル滝。上部奥まったところが猫又の滝。ここからは見えない。
[丸太橋]
M氏と別れた後、この丸太橋を渡って、仏峠に向かいます。
この橋も、台風で何度となく流され、
最近、付け替えたようです。
[上湯川小学校・中学校分校跡]
"仏峠"です。
意外と"広ィ-"です
[参考]
こちらが玉置山の麓に懸かる「猫又の滝」です。