十津川村玉置川の二ノ滝は、何処に!!

当ブログでは、

主に山歩き等について

書き綴っていますが…、


今日は、

机上での滝位置の探索について

少し書いてみたいと思います。

ということで、

具体的には『十津川郷村誌』の

玉置川村の項に記載されている

"二ノ滝"の位置についての考察です。

[垢離掻谷]

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『十津川郷村誌』の玉置川村の項に、

二ノ滝について

「高二丈六尺、幅五尺、深三尺、

水源大水呑ヨリ出ツ、本村西」と、

記載されています。

また、同じ項には、二ノ滝以外に、

5滝が掲載されていますが、何れの滝も、

現在の地形図等には、記載がありません。

当然ながら、『十津川郷村誌』において、

滝位置の記述が曖昧なため、

場所の特定ができません。

ちなみに「水源大水呑」は、

同じく『十津川郷村誌』には

「一ハ垢離掻谷ト云フ、

本村ノ西方

字大水呑ヨリ出テ 

東流シテ字出合ニ至ル」

とあり、

垢離掻谷に懸かる滝ということになります。


そこで、もうひとつ手がかりは、"字"です。

"字"とは市町村内を小区分した地名表記で、

"大字"と"小字"があります。

もともと"字"は田畑などの一まとまりを指す

呼び名で、明治以降に再編整理され、

現在の土地台帳の基礎にもなっています。

しかし村名の"大字"はあるものの、

"小字"は番地等に置き換えられるなど、

"字"名は、失われつつあるのが現状です。

といった"字"ですが…、谷名、地形など…、

もちろん滝名にも…、

"字"名には重要な情報が含まれている

場合が多々あります。


ということで、期待半分で、

十津川村玉置川の地籍図を調べてみることに…。

「あっ!、ありました!!」。

垢離掻谷近くに「二ノ滝」関連の"字"を

確認することができました。

しかし、地籍図は、かなりデフォルメされて

描かれており、おおよその位置は分かりますが、

場所の特定にまでには、至りません。

地籍調査が進んでいない十津川村にあっては、

なおさらです。


このあたりが地図読みのおもしろさでしょう。

空想から現実を探り出すという、

醍醐味でしょうか。

具体的には、玉置山へ参拝道が通る垢離掻谷の

下流の右岸に「字二ノ滝ノ影也」、

左岸に「字二ノ滝上ミ」2ケ所「字二ノ滝」

2ケ所がヒットしました。

かなり大きな範囲で、二ノ滝の"字"があります。

おそらく、このあたりに、

二ノ滝が存在しているのだろうと思われますが…。

この辺りまでが空想であり、

下記の地形図に示した〇位置

滝が存在すると思われる

推測場所です。

現実には、現地に行ってみないとわかりません。

「高二丈六尺、幅五尺」は、

滝の高さ約10メートル、

幅約1.5メートルということになります。

とはいっても、行けるか、行けないかは別ですが…。

いつか二ノ滝に挨拶できれば…と思っていますが…。

どなたか、この付近のことについて、

ご存知じの方がおりましたら、

教えて頂ければ嬉しいです。

[十津川村玉置川の"地籍図"]

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[二ノ滝が存在していると思われる範囲]

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大和三山(畝傍山・香久山・耳成山) の山歩き

いつも当ブログへ、

お立ち寄り下さり、

ありがとうございます。


思いつくままに…ただただ、

山への思いを書き綴っています。

 

さて今回の山は、久しぶりに、

都会の山、大和三山(畝傍山・香久山・耳成山)

の山歩きです。

自由参加の会の6月の例会です。

[畝傍山から耳成山を望む]

f:id:hikojima:20190624112537j:plain[大和三山ルート図(畝傍山→香久山→耳成山)]

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計画段階で、梅雨空の暑い一日を

覚悟していましたが、

日頃の参加者みなさんの心がけ…、

それとも祈祷?…、

太平洋高気圧が張り出す訳でもなく、

当然、梅雨空の蒸し暑さもなく、

雨にも降られず、ありがたい一日となりました。


大和三山は、私自身、車で麓まで行った後、

一山一山をアタックしたという経験が

ありましたが、三山を一日で周回するのは、

初めてです。

 

そのためだろうか…、

近鉄橿原神宮前駅をスタートしたものの…、

畝傍山に行き着くまでに、

いきなりの登山口への道に迷う羽目に…。

いやいや、日頃、人が滅多に

立ち入らない山ばかり、

歩いているためだろうかと…、

心の中で言い訳しながら…

再度"喝"を入れ直して…。

どうも都会の山は、勝手が違いますね。

参加者のみなさん、ご迷惑をおかけしました。


ともあれ、予定時刻通り、大和三山

制覇することに成功しました。

制覇とは、"大それたこと…"と

思われる方もおられるかと思われますが…。

正直、道が前後左右に、

いろいろと(街中なので当たり前か)、

たいへんでした。

遭難という二文字に縁がなくても、

頭のフル回転が必要という具合に…、

けっこう疲れちゃいました。


ともあれ、梅雨の時期の蒸し暑さもなく、

一歩、街中から山に入ると、

さわやかな風もあり、

また、香久山入口では、

念願の"かき氷"で、熱を冷まし…

(至福のひととき!!)

いいところに店が…

心なしか万葉時代にもタイムスリップ…

ラッキーな一日となりました。

 

 

ちなみに、大和三山について、

大和国名所図絵』には、

「やまとの国は、山々四方にのみ廻り立ちて、

国の中は平らかなるに、香山(かぐやま)・

耳成山(みみなしやま)・畝火山(畝傍山)の

三つのみ各独り立ちて、

そのあはひ各一里ばかりづつ有りて、

物の三つ足有るがごとし。

藤原の宮所は、この三の山の中にて、

香山へよりしなり。

さて畝火は高く、耳成はそれに次ぎ、香山は

中に低ければ、形は富士の山をちひさく

作れるごとくにて、いにしへは四方の麓広く、

木しげくつづきて、万たらひてうるししければ、

取りよろふ天の香久山はとよみけるなり。…(略)」

と書き綴られています。

 

【『大和名所図絵』に挿入されている耳成山

山中に梔樹(くちなしのき)おほし。

このゆゑにくちなし山ともいふ。

『古今』俳諧 みみなしの山の

くちなしえてしかな思ひは色の下染にせん

読人しらず

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 [大和三山GPS軌跡]

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[橿原神宮を抜けて畝傍山登山口に向かう]

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[畝傍山登山口]

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[畝傍山山頂の三等三角点]

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[畝火山口神社碑]

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[橿原神宮参道]

f:id:hikojima:20190624112656j:plain[天の岩戸神社]

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[香久山登山口]

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[香久山山頂]

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[香久山から畝傍山を望む]

f:id:hikojima:20190624112712j:plain[香久山神社]

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[耳成山を望む]

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[耳成山へ向かう]

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[藤原宮跡から畝傍山を望む]

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[耳成山山頂への道]

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耳成山山頂の三等三角点]

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【コースタイム】
橿原神宮前駅10:00-10:25畝傍山登山口-10:50畝傍山10:55-11:15公園(昼食)11:50-12:15本薬師寺跡12:20-12:45(休憩)13:00-13:15香久山-13:55藤原跡14:00-14:40耳成山14:50-15:25大和八木駅

新荷野手峠から一年先取りの子ノ泊山へ

子の泊山は十二支の"子(ね/ねずみ)"の字を

冠する山として知られています。

全国に"子"の字が付いた山は少なく、

当然ながら、ここ子ノ泊山では、

"子"の年に、いっそうの賑わいを見せます。

来年の令和二年が、まさに"子"年の山であり、

私たちは

一年先取りの"子ノ泊山"登山です。

[子ノ泊山山頂]

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[GPS軌跡]

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ちなみに、蔵光山山塊の最高峰が、

一般的には子ノ泊山と呼ばれています。

蔵光山の蔵光は平家の落ち武者、

赤井蔵光一族が落ち延びたことに由来し、

蔵光山の山中に、寝泊した岩窟があったことが

子ノ泊山の由来ともいわれています。

蔵光山について『紀伊風土記』に、

「入鹿一族山に接して浅里郷浅里村界まで

南北凡(およそ)二里許(ばかり)連なれる

荘中の高山なり…(中略)…

山の名は昔蔵光といふ人ありて山中に

住せしより起こる。

屋敷跡に碑石あり。

側に七十五人塚といふ塚あり。

その臣を葬るといふ」

とも記されています。

 

ということで、蔵光一族の武将を葬ったとされる

塚が点在する尾根コースで

新荷手野峠から子ノ泊山へ。

途中、蔵光一族が寝泊まりしたとされる…

(定かではありませんが…)岩窟らしき大岩も…、

歴史ロマンがぎっしりと…。

七十五人塚は、今回のルートとは違いますが、

以前歩いた浅里辻近く(地図参照)にあります。


ともあれ、この時期の林道歩きは、

さすがに暑さとの格闘、

そして思っていた以上のアップダウンの多さには

閉口しました。

しかし梅雨前ということで、

尾根を歩いているときのさわやかな風が、

心地よく、

疲れた体を労ってくれているようでした。

みなさんお疲れ様!!でした。

今日も事故なく

そして楽しんで歩かせていただきました。

しばらくの間、近くの山は……、

 

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[八丁大滝]

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[枝谷にかかる滝]

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[新荷手野峠]

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[二十四ノ塚]

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[十一ノ塚]

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[碑石]

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[赤井蔵光塚]

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[二ノ塚]

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[寝泊まり岩か?]
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[すぐ上が子ノ泊山山頂]

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[子ノ泊山山頂]

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[一族山方面を望む]

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【コースタイム】
八丁谷林道入口P 9:10-9:20八丁大滝9:35-9:42枝谷の滝-10:50新荷野手峠10:55-11:55赤井蔵光塚-12:50大岩-13:20子ノ泊山13:40-14:50赤井蔵光塚-15:30新荷野手峠-16:50八丁谷林道入口P

太尾尾根から不動地ノ嶺へ

赤木越道シーズン2の

"不動地ノ嶺"の尾根道を歩いてきました。

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赤木越道シーズン1の

"不動地ノ嶺から迫辻へ(2019.4.17)"に

引き続いてのシーズン2です。

シーズン1の記録です↓

「この日に限って、暑さもひと休み…」

何ともありがたい一日になりました。


さて赤木越道については、

江戸時代の博物学者、

畔田翠山の著『和州吉野郡群山記』の

"紀州若山より釈迦嶽に登る十津川赤木越道"

に詳しく紹介されています。


しかし、当時(江戸時代)の赤木越道を

現在の地図で特定することが出来ません。

十津川村旭の中谷集落から太尾尾根に

登ったのち、不動地ノ嶺から、

ほぼ太尾の尾根沿いに釈迦ヶ岳を目指した…

ものと、おおよそ、推測することができますが…。

ともあれ、

赤木越道を訪ねるシリーズのシーズン2は、

太尾(釈迦ヶ岳)登山口から

不動地ノ嶺の尾根歩きです。


往路を太尾尾根で、

復路を林道を使って…と思い

歩いてみましたが…、


かつての林道は、

崩落と山抜け等が著しく、

歩くにも支障をきたすほどでした。

太尾の尾根歩きの道は、

ブナ・ヒメシャラ等々、

自然林の期待通りのルート、

その上、心地よい風、心が癒されます。

 

以下に、

『和州吉野郡群山記』の

「釈迦嶽記」を抜粋します。

 

<不動地、はせの木坂へ二里余>。
二丁ばかり行き、道十字となる。
右に下れば栗平村道

左に下れば迫村へ行く。
釈迦嶽へ登るは、直に行くなり。
この辺、菅(スゲ)・芒(カヤ)野山なり。
この処を、せ辻と云ふ。(中略)…
この辺より先は、

かや道に茂りふさがりて、
秋の頃は殊に登りがたし。
夏も枯れ残れるがありて、
人の足を煩はしむ…。

<赤木坂、八丁登り有り>。
赤木づかうと云ふ処有り。
この辺にて、右の山下に、

谷水の流れ響あり。

これ、滝渓なり。(中略)

…内原村の枝郷花瀬村は、

赤木坂の下、南方に当たる。
高原よりおよそ三里なり。
総槌平、板橋、

山渓に掛かる、丸木橋なり。
昔は橋有りけるが、今はなし。
鞍根坂 少し登り坂有り。
この辺より篠道にふさぎて高き事、
人をかくす。(中略)…
鞍根坂の嶺を鞍根辻と云ふ。

下り坂有り。
それより土器の坂、登り、

一里十四、五丁登れば、小峠有り。(中略)
沼田小屋 道の右下二丁ばかり。(中略)
戸谷辻 先にて少し下り坂となる。

<はせの木坂 古田の森へ一里>。
この辺すず竹多し。(略)…

 

このあとも、事細かな記述が続きます…。

しかし、ここまで距離・地名が詳細に

書かれていながら、現在の地形図では、

総槌平・鞍根坂・土器の坂・沼田小屋

・戸谷辻・はせの木坂…といった地名の

場所が特定できません…。

古田の森が唯一、

場所の特定が出来るのが救いですね。

【翠山自画の釈迦嶽西の方より見る図】

『和州吉野郡群山記』所載

(大阪市立博物館蔵)より

不動地の次は、"赤木坂"のようです。 

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ともあれ、いろいろと想像しながら、

地形図をなぞってみるのも楽しいものです。

もちろん正解は、ひとつだと思いますが…。

 

ちなみに、かつての十津川の旭村あたりでは、

釈迦ヶ岳を"オシャカサン"と呼び、

雨乞いの火をもらいに、

釈迦ヶ岳・前鬼への登拝が頻繁に

行われていたようです

(「旭ダム関係地民俗等調査報告」より)。

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[二重滝]

尾登山口に向かう林道から望む

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[太尾(釈迦ヶ岳)登山口]

この日は、5台ほどの先客が…。

駐車場へは、あと数台ほどが停められそうです。

ほとんどの登山者は、

右手の釈迦ヶ岳を目指しますが…、

私たちは、左手のトレイ小屋の後ろから尾根に

取り付きます。

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[一つめの林道出合]

この辺りまで、林道が舗装されていました。

しかし、崩落がひどいです。

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[樹林のすき間から下辻山を望む]

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[樹林のすき間から七面山を望む]

八経ヶ岳方面には、

ガスがかかっていました。

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[三等三角点「旭」]

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[林道出合]

林道に下ったのち、

再び尾根に取り付く

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[七面山を望む]

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[大岩を乗り越える]

P1181mを過ぎてから

次の小さなピーク

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[不動地ノ嶺]

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[迫辻付近]

林道終点付近

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[山抜けのあった林道からの眺望]

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[山抜けのあった林道から釈迦ヶ岳を望む]

f:id:hikojima:20190614110456j:plain[大峰主稜線を望む]

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【コースタイム】
尾登山口P8:45-9:45三等三角点-10:00林道出合-11:15迫辻-11:30不動地の嶺12:00-12:15迫辻-(林道)-12:55再び尾根道へ-13:55林道出合-14:45太尾登山口P

 

大峰道 中原・今井から天狗木峠を経て陣ヶ峰へ

蒸し暑い梅雨に突入まで後少し…、

今のうちに歩いておかないと…。

という訳で、高野山大峰山

二大霊場を結ぶ大峰道を歩いてきました。

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大峰道は、高野山大峰山を結ぶ道で、

かつての山上詣で、いわゆる"講"の道として、

賑わったルートです。

そして修験者たちが身に着けていた

装束にちなみ、「すずかけの道」とも

呼ばれています。

しかし最近では「すずかけの道」と言えば、

稜線沿いの

高野山発見の道」を指すことが多いようです。


さて、かつての大峰道は、県道「高野天川線」

によって、大きく様変わり、

ほとんどが車道で、

古道が僅かに残っている程度です。

ということで、今回、中原・今井集落・

野川弁財天付近、

そして高野谷から陣ヶ峰間の古道以外は、

イカーを利用しました。


と言っても、県道から集落側に一歩、

足を踏み入れると、

かつて賑わったであろう

路地、そして、かつての

旅籠を思わせる建物が

ひっそりと…、

出来るかぎり古道を忠実に歩く事に

専念しました。

途中、出会ったおばさんから、

この付近の光景が気に入った方が、

近々、民宿をはじめるための準備をしているよ…

と教えていただきました。

こういった話を聞くと…「ホッと!!」しますね。

 

ちなみに中原集落の"一夜之不動尊"への道を

左上に見送り、更に山腹を東に進むと…、

すぐに道が細くなり、尾根をいっきに下って

県道と合流。

踏み跡はしっかり付いていましたが、

この道は、通らない方がよいかと思います。

古道だと思いますが、県道に出る手前付近で

道がなくなっています(廃道近いです)。


梅雨間近と言いながら、

樹林帯の中の道に入ると、半袖では、

肌寒さも感じるほど…。

思い立っての古道歩きは、正解でした。

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GPS軌跡】

朱記の箇所は徒歩。以外は車利用

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【中原橋】

f:id:hikojima:20190610122824j:plain【中原橋を渡って、すぐ左へ】

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【中原橋を渡って石段を登ると車道と合流】

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【中原集落】

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地蔵尊を祀る分岐を右へ。県道に下る】

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【今井集落】

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【今井橋を渡って、すぐ右へ】

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【大峰道の看板の手前の石段を登る】

f:id:hikojima:20190610123017j:plain【今井集落】

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【野川弁財天】
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【高野谷の入口に建つ石碑】

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【天狗木峠】

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【陣ヶ峰への道】

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【陣ヶ峰一等三角点】

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【コースタイム】
中原橋8:50-9:25中原集落9:55-10:30県道-1045P-10:55今井バス停(今井集落散策)11:20-11:30野川弁財天11:45-12:20上交差点-12:25大峰道入口P-12:30大峰道石柱-13:00天狗木峠-13:20陣ヶ峰13:25-13:35天狗木峠-14:00大峰道石柱-14:10大峰道入口P

小森から中原へ、西熊野街道を歩く

マイナーだけど、気になっていた

西熊野街道の探索に行ってきました。

[3D_GPS軌跡]

f:id:hikojima:20190604142624j:plain[西熊野街道]

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前回5月の古道探索で、

中原谷沿いの道に山抜けがあり、

やむなく撤退したことから、

今回は、十津川村のかつての中心地、

小森集落から、

中原集落跡を目指します。


小森は、昭和23年に、

十津川村役場が現在のところに

移転するまで、

実に56年間、

十津川村のかつての行政の中心で

あったところです。

行仙岳の支尾根上の一角に、

旧役場の建物が倒れずに残っています(※)

行仙岳登山の際、

一度ここに立ち寄ったことがあります。

(※)みなみさんから、ご指摘があり、

以下、修正と加筆をさせて頂きます。

役場が現在の場所へ移動したあと、

その場所を借りられた(あるいは購入された)方が

おられ、住居を建てられた跡が現在の建物とのことです。

従って、上記の「旧役場の建物が、…」は、

旧役場跡ではありません。


旧警察跡を過ぎると、

いよいよ西熊野街道に踏み出します。

行仙岳山腹の山襞を縫う道で、

小さな山抜けや倒木はあったものの、

"湯ノ原覗き""小森峠"と…

予想以上に歩きやすい道です。

6月とはいえ、心地よい風にも助けられ、

暑さを感じることなく、

しばらく快適な古道歩きを楽しみます。


やがて中原谷が近づき、

やや道が不明瞭になり始めた頃、

突然、トラバース用の

ロープが張られた大岩が

目の前に立ち塞がります。

しかし足元は、

狭く斜めになっており、

その上、左下の谷はゴルジュ帯、

右上は絶壁です。

当然、トラバース以外に

道はなさそうです。

しかし、この場を突破しても、

その先が見えません。

もう少しで中原集落跡に

到達というところでしたが、

やむなく、

ここから先に進むことを

諦めることに!!。

またまた西熊野街道のリベンジ

失敗しちゃいました。

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漢学者藤沢南岳が昭和19年に、

ここ十津川村を旅したときの

紀行文「探奇小録」には、


「嶺ヲ超ヘ野尻ヲ過ギ山崎ニ至ル。

是ニ於テ渓ト別レ中原嶺ヲ過ギ

小森ニ至ル。

村口ノ茶店ニ憩フ。

軒ニアタルノ峯竣峭、

其ノ名ヲ問フ。

曰ク「行者岳ニシテ一郷ノ中央タリ」ト。

又行クコト数丁、崖上ニ招魂社アリ、

郷人ノ王事ニ死セル者ヲ祭ルナリ」

と記しています。

 

招魂社跡は、

旧警察跡の横手から、

支尾根を少し登ったところの

ようです。

 

さて小森が、

どうして十津川村のかつての

中心地になったのか…、

そこに通じる西熊野街道の存在に

関係するのだろうか等々、

又、又、疑問点だけが残ってしまいました。

f:id:hikojima:20190604142619j:plain[GPS軌跡]

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[明治期の西熊野街道]

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[中原集落位置図]

今回、大岩のトラバースで、

リタイヤです。

山抜けのため通行不可の位置は、

前回5月においてのリタイヤ位置。

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[小森集落への古道入口]

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[小森集落への古道]

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[小森集落から山道を登って…]

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[旧十津川村役場跡へ]

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[旧警察跡]

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[招魂社跡]

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[湯ノ原覗きの道標]

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[小森峠に残る水準点]

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[電信柱で橋が…]

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[大岩のトラバース道]

ここでリタイヤ!!!

ロープが張られているが、

足元は、中原谷のゴルジュ帯!!

右上は絶壁!!。

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[小森から西熊野街道に向かう途中の地蔵尊]

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[勝手神社]

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hikojima.hatenablog.com

【コースタイム】
小森集落への車道入口P9:20-9:30古道入口-10:10小森-10:25旧十津川村役場跡10:30-10:35旧警察跡-11:35小森峠11:40-12:40大岩(引き返す)-12:55谷(昼食)13:40-14:25小森峠-15:10旧警察跡15:15-15:35勝手神社-15:55小森-16:20小森集落への車道入口P

真砂から加賀大日山・加賀兜へ

二日目は、最高の山日和です。

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福井・石川県周辺の山へは十数年前、

いくつかの山に登った記憶がありましたが、

今回、K氏の

「福井のホテルでフレンチ!…そして山へ」

の号令で、実現しました。

 

ホテルから一路、真砂集落跡の登山口へ。

平成10年に廃村となったとされる

真砂集落跡から徳助新道を登りに、

池洞尾根を下りとして、

加賀大日山に登ってきました。


雨上がりの登山道は、

ひときわ新緑がまぶしく、

最高の山日和になりました。


小大日山を過ぎたあたりから、

足元には…! カタクリ・イワウチワ・

サンカヨウ・ショウジョバカマ等々、

疲れた体を癒してくれるかのように、

小さな花々が出迎えくれました。

花の撮影タイムに、なかなか前に進みません。

ようやく加賀大日山の山頂に到着。

山頂では二人の先客のおじさんが食事中でした。

この付近の山々は、歩き尽くしたという

70歳代後半の陽気で元気なおじさんたちです。

さすが年の功、いやいや山の先輩に、

周辺の山の情報、

いろいろと教えていただきました。

私たちも昨日登る計画を立てていた

「浄法寺山」も"登って楽しめる山"の候補地に

入れていました!!。

"残念!!"

マア~、近いうちには登りたい?…という

宿題が出来ちゃいました。

他には、荒島岳・銀杏峰・

たけくらべ・赤兎山・

大長山等々、

そして、"白山の展望では大長山が最高!!、

林道を使えば簡単に、登れますよ!!"、…とのこと。

まだまだ、「福井・石川県周辺」の山への

興味が尽きません。

楽しかった二日間の山旅、

ありがとうございました。

 

【コースタイム】
ホテル6:10==8:10真砂登山口8:20-8:40分岐-10:00徳助の頭10:10-10:35小大日山10:40-12:00加賀大日山12:55-13:30加賀兜13:35-15:25真砂登山口15:40==16:30道の駅「山中温泉ゆけむり健康村ゆ〜ゆ〜館」17:30==22:00和歌山

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[GPS軌跡]

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 [真砂集落跡近くの清流]
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 [神社跡の鳥居]

この前を直進、すぐに、徳助新道と池洞尾根の登山口分岐です

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 [徳助新道をいっきに登って…]

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 [小大日山から雪が残る白山・別山方面を望む]

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 [加賀大日山の山頂に向かう]

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 [加賀大日山から越前甲を望む]

f:id:hikojima:20190530193257j:plain[加賀大日山山頂から白山を望む]

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 [加賀兜(甲)方面へ]

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 [越前甲を望む] 

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 [加賀兜(甲)・大日山避難小屋]

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